明照学園  理事長 コラム

野口校長先生の『今日を生きる』

明照学園理事長及び樹徳高等学校校長の野口秀樹校長先生のコラムになります。
学校の様子や校長先生が日々感じていること、考えていることを書き綴っています。
平成20年10月22日から、毎日更新中です。

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平成21年1月16日からの訪問人数

令和8年3月

3月14日(土)

おはようございます。
今日も宜しくお願いします。

日本の財閥で銀行王と呼ばれた安田善次郎は富山県出身なのですが群馬との縁も深いのです。
明治22年、現在の両毛線(両毛鉄道・小山前橋間)開設の発起人の1人になっておりますし(出資をしている)、明治33年には伊勢崎に群馬商業銀行を開設している。
私が1番始めに安田善次郎さんを知ったのは東大の安田講堂を寄付したした人、日比谷公会堂を寄付した人、相当ケチであったようですが、お金の使い方が見事なのです。
本人が明治45年正月に書いた座右の銘。

「今日一日の事」
一、今日一日三つ(君、父、師)のご恩を忘れず不足いふまじき事
一、今日一日決して腹に据えかねる立つましき事
一、今日一日虚言をいはず無理なる事をすましき事
一、今日一日の人のあしきをいはず我がよきをいふましき事
一、今日一日の存命をよろこび 家業を大切につとむへき事

右は唯今日一日の慎みにて候
羽音ありと油断をなさす 忠孝を
今日一日と はけみつとめよ

ことを成し遂げた人は自己を律する努力を忘れないのであります。

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3月13日(金)

おはようございます。
今日もよろしくお願いします

昨日、私は樹徳中学校で宗教の時間を教えていた頃の資料が出てきました、
2年生に『私にとって家族とは』で作文を書かせました。
私の記憶では生徒たちが家族をどのように捉えているか、また、家族について考えて欲しい、そんな意図であったと思います。ある生徒の文章を一部紹介します。

私にとって家族とは、何にもかえ難いかけがえのない存在。
今私達は中学2年生、ちょうど思春期にあたります。
なので家族、特に親に反抗する時期です。
私もそうです。
親に何かを言われるたびに心の中で「うるさい」と思ってしまう。
親にこれしなさいと言われるたびに、「やらなきゃ」と思うと同時に「やりたくない」と思う自分がいる。
「どうして自分の事を解ってくれないのかな」とつい自分の思いを押しつけてしまったりもします。

親の言っていることは正しいと解っているのに、何となく認めたくなかったり、イライラすることも多くあります。
なので時々「自分て嫌な子供だなぁ」と思ったりもします。

でも、こんな私に毎日ご飯を作ってくれるのも、何か物を買ってくれるのも、話相手になってくれるのも、夢を応援してくれるのも全部両親です。
そう考えると、親に反抗している自分がバカバカしく思えてきます。
・・・。

別の生徒は

私にとって家族とは、お互いに心が通じ合い私を支え、励ましてくれる人達だと思います。
両親は私が生まれてからずっと私を育ててくれ、とても感謝しています。
しかし、私は本当に心の底から両親に感謝しているのだろうかと考えてみました。
学校から帰っても、つまらないことですぐにイライラして周りにいる人が気分悪くなるようなことをしてしまっています。
父に対しては、屁理屈を言ったり、父が私に話しかけても無視をしてしまったりしています。
感謝すべきことが当たり前になりつつある私に一番問題があります。
・・・。
この時期の子供達の心、彼らも葛藤しておりました。

昔から日本には「時間くすり」という言葉があります。
この時期は間違いなく成長の過程、辛いが自然な時間の経過が必要。
10数年前の作文ですが、今の生徒たちもあまり変わらないのではないでしょうか。

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3月12日(木)

おはようございます。
今日もよろしくお願いします。
昨日は生徒たちも東日本大震災でお亡くなりなった方々に一斉に黙祷致しました。

昨日は家に帰りますと、沖縄に住んでおります卒業生が遊びに来ておりました。
大谷君達が活躍しておりますワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のチェコ共和国戦を観戦し群馬へ帰ってきたのであります。
私の檀家の周東君のホームラン、4番バッターの村上選手ホームランを見たと喜んでおりましたが、大谷君は出場しなかったとか、招待席で見てきたそうです。
うらやましいですね。
面白い男なので、知り合いを何人か集めて食事をしました。
楽しい夜でした。
そうそうこれは大谷君のフィギュア、 MLB ロサンゼルス·ドジャース球場でもらったものだそうです。

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3月11日(水)

おはようございます。
今日もよろしくお願いします。
昨日は東京へ出張しましたが、車で出かける東北自動車道、栃木県が雪、埼玉県に入って雪、東京へ入ってみぞれ、そして特別寒い1日、本当にまいりました。
また昨日3月10日は東京大空襲の日で、両国の横網町公園内の東京都慰霊堂で慰霊祭が行われたようです。
私は存じませんでしたが、知り合いの山形県の校長先生がこれに参加してきたとおしえてくれました。
昭和20年の3月10日、爆撃機B29によって8万人が亡くなった。
あれから81年が経過しました。
また今日は東日本大震災15周年、私はまだまだ当時のこと鮮明に覚えております。
不思議なことに樹徳は前日に避難訓練を行いました。
ですから当日は余震が続く恐怖の中、生徒たちは上手く避難できたのです。
いつまで経っても余震が治まらず、避難した新川公園から教室に戻ることができなかった。
JR桐生駅は不通になり、生徒たちも帰る交通手段を失うのであります。
4階講堂のガラスがいくつか割れ、天井の化粧板がみな落ちてしまい、体育館で授業でもやっていれば、けが人の可能性もあった。
夕方から急激に寒さが増していった。
在校生達は1~2歳くらいですから東日本大震災のことはまったく知らない。
TVから流れる津波災害の映像、まるで映画の中のできごとのようでありました。
冥福を祈ります。

私は仏教会の会長をしている時期がありまして、
11日は現地南三陸旧防災庁舎でお経を唱えておりました。

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3月10日(火)

おはようございます。
今日もよろしくお願いします。

国立大学前期の合格発表がなされ、好結果が届いております。
受験生には大変ですが、最後まで頑張ってほしいものです。
大学の話で思い出したことがあります。
日本にかつて夢のような大学と国作りの話がありました。
日中戦争の時代に日本の国策として満州国に作った満州建国大学(1938~1945)がそれです。
「五族協和」を掲げ、日本、朝鮮、中国、モンゴル、満州の民族のエリートを集めた大学で、総長は内閣総理大臣でした。
満州建国大学のことは私は小さい頃から父親に聞いて知っておりました。
何故かというと、樹徳高校で教頭を、その後は副校長としてお勤め戴いた森口謙二先生がこの建国大学出身なのです。(1期生か2期生です)
先生は父の1年先輩で桐生中学を代表する秀才でした。
子どもの頃は神童と言われていたのです。
敢えて東大に行かず建国大学を選んだのは、この卒業生には、満州に理想国家を造り上げていく大きな使命が託されていたのです。
優秀な若者はこのことに燃えたのでありましょう。
ところが戦争に負けた日本、時代が大きく大きく変わってしまい、この大学を卒業した人達は国賊的存在となり、社会から排除されていくのです。
そのことが『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』三浦英之著 に書いてありました。

森口先生には私もお世話になりましたが立派な方でありました。

これから東京へ出張します。

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3月9日(月)

おはようございます。
今日もよろしくお願いします。
毎朝何カ所かで、過去帳(関係者で過去に亡くなった人)のご供養をしているのですが、今日は何の日だか、誰の月命日か、頭の中にズーと引っかかっておりました。
ここへ座ってPCに3月9日と打って「ああ!!」 その引っかかりが解けたのであります。
気になるはずです。
47前に亡くなった父親の誕生日、思い出して本当に良かった。息子などという者は結構薄情であります。
今朝の出勤時の外気温0℃、久々に寒い朝でありました。

昨日は1日、裏千家淡交会群馬県支部の会合で前橋におりました。
支部の総会、続いて学校茶道の総会、そして最後が青年部の総会でありました。
年度末は新年度に向けての会議ばかりです。
今週は東京で全国私学小中高等学校連合会の理事会、群馬県私学振興会の総会、わたらせ養護園の理事会、本校の明照学園の理事会、今晩は桐生倶楽部の理事会、私はすべて出席せねばなりません。
冷静に判断すると毎日何かの年度末の会議になります。
皆様にお世話になってばかりいるのですから、やむを得ないこと受け止めて、喜んで出席するよう心がけております。

校内では午後地震防護・防火訓練が行われます。
忘れてはいけませんがあと2日経つと東日本大震災3.11。
15年を迎えます。

本校の役員会はこのテーブルで行われます。
このお花は3月1日卒業式に合わせて活けました。
本校の役員会まであと4日、活け替える必要がありそうです。

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3月6日(金)

おはようございます。
今日もよろしくお願いします。
学年末試験最終日です。
今年度も残り少なくなりました。
今日までの試験結果で進級が決まります。
単位未修得で留年などないようにしてもらいたいものです。
目を外に向けるとアメリカ大統領のトランプさんがまた何かやらしてくれたようで、日本経済も含め世界は混乱し始めております。
政治のことは解りませんが、戦争だけは困ります。

今朝の新聞は全国の自治体の9割の小中高の教員が不足している記事でありました。
何紙か見ましたがどちらも大きく取り上げておりました。
文科省の2025年調査によると不足人数は4317名で4年前に比べて7割増えたとのことでありました。
勢いよく減ってきていますね。
原因は大量採用された年代が定年退職を迎えたこと、それに伴って新卒・既卒の若手の採用を拡大したが、産休・育休が増えたために不足が生じている。
公立ばかりでなく私立学校、教員確保には苦労している現状であります。
次の日本の若者を育てる、
日本の未来を創造する人達を育てる、
責任ある大事な仕事。
新聞には出てまいりませんが、保護者対応の過重化、いじめ対応の責任集中化、低い処遇などそんな所にも原因があるような気が致します。

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3月5日(木)

おはようございます。
今日もよろしくお願いします。
昨晩から強風が吹いております。
怖いくらいの音をたてて、まもなく生徒たちが登校してまいりますが、この風がやむ気配はありません。

先週の土曜日に9時頃学校へ向かっておりますと桐生市内をパトカーがサイレンを鳴らして忙しそうに走っているのです。よく聞いてみるといたるところから聞こえてまいります。
なにか大きな事故、事件が起こったのでないかと1人で心配したのであります。
たまたま知り合いと出会ったので尋ねてみると。
「菱の山が燃えているとメールに入った」と教えてくれました。
私もその日忙しかったのでそこまでの話でありました。
次の日の新聞には、山火事の通報、沢山の箇所から見えた煙は花粉であったと、報道されておりました。
次の日、スマホに収められた花粉の煙を見ましたが、本当に山火事のようでありました。
この日、桐生市だけではなく他の地域でも花粉の煙が発生したようで、TVのニュースに取り上げられておりました。
私は今年も花粉と仲良くせねばなりません。

校内は学年末試験3日目です。

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3月4日(水)

おはようございます。
今日もよろしくお願いします。
昨晩は雨がだいぶ降っていたようでありますが、雪にならず助かりました。

校内は期末試験2日目となります。

先日転んだ話を致しましたが、また昨日朝、真っ暗な講堂の壇上で転んでしまいました。
何をしていたかというと、朝の仏様へのおつとめ、毎日のことでありますので、暗くてもその場所のことは周知しているのであります。
ところが卒業式の片付けがまだ残っていて、躓いて勢いよく倒れてしまったのであります。
両手で体を支えることかできたので、床に叩きつけられる事はなかったのですが、右手から肩への衝撃がきつかったのでしょう。右肩が痛くて仕方がありません。
普段鍛えているインナーマッスルのおかげで、この度も助かりました。
それにしても躓いて転ぶことが多すぎます。
言い訳をしておきますが老化による躓きとは異なります。

私が執務をしている部屋には、心の暦の他に別の日めくり暦もございます。
今日4日、「新しい朝が来る・・・それだけで十分ありがたい」

私もそう思います。

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3月3日(火)

おはようございます。
今日もよろしくお願いします。
終日雨の予報ですが、周辺では雪が降ることになっております。日曜日の卒業式は無事に終了しました。
生徒たちのおかげて感謝にあふれたいい卒業式でした。
生徒たちは特別感動しないかもしれませんが、私などは場面場面でうるうるしてしまいました。
彼らの未来が輝いたものになるよう祈っております。
今朝ラジオで知らされたのですが、今日は歴史の教科書で学んだ桜田門外の変の日でありました。
安政7年(1860)3月3日に江戸幕府の大老 井伊直弼が江戸城外桜田門の目の前で殺害された事件。
お茶の世界でよく使う「一期一会」の言葉なども井伊直弼が使い始めたとか、聞いたことがございます。
それから井伊直弼の先祖は家康の関東入府に伴い上野国箕輪12万石などを与えられているのです。
群馬にも関係がありました。
私は昔、京都で彼の直系の子孫井伊直久氏とパーティーで隣の席になり、その後年賀状交換などしたことがありますので、井伊家に対する思い入れは強いのです。
東京のホテルニューオオタニのある紀尾井町、ここに江戸時代井伊家の屋敷があったのであります。

いろいろ申し上げましたが3月3日はやはり桃の節句でありました。

高校のおひな様です。

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